自由こそが原動力: Nightmares On Waxが描くコロナ禍以降のソウルフルなサウンドトラック

ジョージ・エブリンが語る、サウンドシステム・カルチャー、脳腫瘍の恐怖、そして自身の最新作にして最高傑作『Shout Out! To Freedom…』

Mixmag Japan

89年にNightmares On Waxがブリープ・インストゥルメンタル・トラックの「Dextrous」で台頭してきたとき、私はまだ10代だった。当時シェフィールドに拠点を置いていたWarp Recordsから2番目にリリースされたこの曲は、1990年にLFOやSweet Exorcistがリリースしたレイヴ・カルチャーを代表する12インチの重要なインスピレーションとなった。実際、Warpのレイヴ時代の2つの大ヒット曲である「Tricky Disco」と「LFO」は、正真正銘のレイヴアンセムであるだけでなく、ダンス熱が高まる木曜日の夜に放送されていた「Top Of The Pops(BBCの生放送音楽番組)」にも登場し、イギリスのトップチャートやメインストリームへも波及した。ジャイブ・バニーやカイリー・ミノーグが幅を利かせる世界で、これらのレイヴ・レコードは雲の上にある秘密国家から地球に落ちてきたように感じられた。それはスリリングというよりも、心を揺さぶるような素晴らしいものだった。そしてそれらはすべて、イギリスのレイヴカルチャーで作られたものなのである。

しかし、南海岸でDJ文化を正しく体験するには、子供の頃に行くべき場所がひとつしかなかった。確かにCarl Coxはワーシング(イングランド南部ウェスト・サセックスにある街)の海岸沿いにあったナイトクラブ「スターンズ」で初期のレイヴ・ショーを行っていたが、隣接するブライトン(イースト・サセックスを代表するパーティ・タウン)には広大なレコード店、グローバル級のゲストDJを招く能力のあるナイトクラブ、そして朝6時に美しい輝きを放つビーチがあった。最盛期にはレイヴのフライヤーがそこかしこに貼られ、10ポンドのパーティーチケットを買ったり、後にスーパースターとなるノーマン・クックがバーのカウンターでCDを手売りする場面にも遭遇した。住民たちは、お金を払って最高のアルバム・アートワークを建物の側面にスプレーで描いてもらっていた。今でも私の記憶に残っているのは、リー・ケニーとリー・マクミランがデザインしたNightmares On Waxのセカンド・アルバム『Smokers Delight』(1995年)のジャケットだ。史上最高のトリップホップアルバムとして広く知られているこの作品は、彼の最も完成度の高いソウルフルなLPであるが、2006年に発表された『In a Space Outta Sound』もほとんどそれに匹敵するものである。噂によると、N.O.W.(本名ジョージ・エブリン)はトリップしながらThe KLFを聴いて、このアルバムを作るアイデアを得たという。

もちろん、初めてNightmares On Waxを体験する人には、最初に聴くべき代表曲がひとつある。それは、1999年に発表されたソウル・インストゥルメンタル・トラック「Les Nuits」だ。この曲はイントロからすぐに感情を揺さぶられ、クインシー・ジョーンズとヴァレリー・シンプソンによる1973年の「Summer In The City」のサンプルのおかげもあって、脳内に快楽物質がドバドバ放出されるようなレコードに仕上がっている。アルバムの初回限定盤には、本作のアートワークをあしらったRizla社のデザイナーズ・ペーパーが同梱されていた。ジョージのことをヒッピーと呼んでも差し支えないだろう。しかし、実際に彼を形成するものは、自身が「カット&ブレイク」と呼ぶものだ。

「あの時代の音楽や違法なレイヴを振り返ると、ジャズが生まれたときもこんな感じだったんだろうなと思うね。新しい波が来ていた。でも、当事者であるうちはその中にいると気づかないもんだよな」。そう言って、彼は当時の様子を回想した。「ある日、ブラックバーンで開催されるイリーガルなレイヴに車で向かっていた。そのとき、3台のパトカーが俺たちを止めようとして、すごくゆっくり走らされたのを覚えている。このときの俺はトリップしていた。警察の取り調べを受けながらも、俺たちはなんだか新しい自由を手に入れたような気になってたんだ。これが60年代の感覚なのかと思ったよ。突然、反抗的な気分になった。俺たちは週末のために生きていたんだ。社会からは見捨てられているように感じていた」。

ジョージは現在、妻子と共にイビサ島に住んでおり、尋常ならざるスタジオで音楽を作っている。彼はこの島で最も有名なミュージシャンのひとりであり、彼の音楽は世界中で100万枚以上の売り上げを記録している。現在、Warpで最も長く契約を続けている彼は、仕事と生活のバランスにこれほど満足したことはないし、これほど創造性が満たされたこともないと語っている。レーベルと良好なパートナーシップを築けていることが成功の理由なのだろうか?「間違いないね。俺たちは一緒に成長してきたから。さまざまな分岐点があったが、ひとつでも違った選択をしていれば今の俺はいない。俺と(Warpの創始者であり起業家でもある)スティーブ・ベケットがデモ音源を持ってクラブを回っていたのが、レーベルの成長に繋がったんだ。そこには常に自由があり、クリエイティブな観点から見ても素晴らしいことだった。例えば、このレコードを最高のものにするにはどうしたらいいかなど、目的を率直に話し合うことができるからね」。活動初期から行動を共にするスタッフも健在だ。「何人かはね。やっぱりコミュニケーションは大切なんだよ。俺が大西洋の反対側にいたり、レコードを作るために4年間ほど彼らと離れていたこともあったけど、よく知った間柄なら簡単にやれることもあるんだ。すべてを成功させるには正しくチーム作りをしなければならない」。

1989年の「Dexterous」、1990年の「Aftermath」に続いて、ジョージは最初のスタジオパートナーであるジョン・ハンロンやケヴィン・ハーパーと共にデビューアルバム『A Word of Science』(1991年)を発表した。このアルバムでジョージは、初期のレイヴの感覚やテクノのシンセを捨て、よりヒップホップ的なソウルを探求する道を選んだ。それ以来彼は無二のスタイルを確立し、2021年に新しい世代との関係を築いた音楽的な進歩を遂げてきた。今回のアルバム『Shout Out! To Freedom…』のコラボレーションリストには、ニューヨーク在住のボーカリストHaile Supremeや、イギリスのジャズサックス奏者シャバカ・ハッチングス(Sons of Kemetに所属)などが含まれており、過去30年間に彼が制作したどのアルバムよりも優れた作品となっている。他にも、UKで人気急上昇中のアーティスト、グリーンティア・ペンが「Wikid Satellites」に参加しているほか、1曲目に収録されている「Imagineering」は壮大な野望を秘めている。ジョージが得意とするのは、絶対的なE.A.S.E.(編注: ジョージ・エブリンの別名義かつ“Experimental Audio Sample Expert”の略)で点と点を結ぶことだ。

また、このアルバムはジョージにとって大きな転換期に制作された。彼は脳腫瘍に侵され、自分の考え方を根本的に変えてしまったのである。「このアルバムは、今までの作品で最もディープなものになっていると思う」と彼は言う。「本作が最後の作品であるかのように『Shout Out! To Freedom…』を制作する必要があったんだ。俺は何をすべきだろう?どのように深みのある作品を作れるだろう?と自分自身に問いかけた。俺がそんな感覚を一時的に経験するのは皮肉な気分だったよ。特に、チャレンジの結果がどうなるかわからない2週間の間はね」。結論から言うと、新しく生み出された音楽は大胆で新鮮、そして自由に満ちたものとなった。

パンデミックの前、ジョージはいつも忙しく、いつもどこかへ旅をしていた。ロックダウンがもたらしたのは、ペースの変化だった。「俺は島の北部に住んでいるんだが、コロナ禍以前はこの家にいたことがなく、いつもツアーに出ていたことに気付いたんだ」。新型コロナウイルスは、イビサで常に盛り上がっていたパーティーシーンを完全に止めてしまった。「今は、オープンエアでパーティができる『Las Dalias』、『Cova Santa』、それに『Pikes』ぐらいしかナイトクラブは営業ができない。本当に今はそれだけ。その間には何もない。他にも野外イベントはたくさんあるが、実際にこの島で起きているのはジェントリフィケーション(高級化)だ。島は常に変化し続けている。今重要なのは、役人が何を意図しているのかということだ。クラブシーンをサポートする意図があるのか、あるいは社会の様々な危機に対応する意図があるのか。俺としては、何か違うものに対応しているような気がするね」。

ジョージにとって、自由は明らかに重要である。彼のプロジェクト“Nightmares On Wax”は、エレクトロニック・ミュージックの新しい道を切り開いただけでなく、ソウルとダブの感覚をすべての音楽ジャンルにもたらした。若かりし頃のジョージは、クインシー・ジョーンズだけでなく、カーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイにも影響を受けていた。「俺が好きなのはマーヴィン・ゲイの『What’s Going On』だが、それにはいくつかの理由がある。彼が歌っている内容は常に関連性があるんだ。彼は当初つまはじきにされ、あのアルバムも2年間棚上げされていたが、最終的にはモータウン史上における最重要作品になった。世の中は真実を恐れていたんだ。ボブ・マーリーのように、愛について語っていても、戦争について語っていても、そこには真実がある。音楽は常に、平凡な男性や抑圧された女性がシステムに対抗するための手段だった。今ではそういった存在のために声を上げるアーティストは少なくなってるよね」。ジョージは、権力者に対抗するアーティストたちにもっと期待していたと言う。「正直俺はがっかりしてるよ」と彼は肩をすくめる。「俺はレゲエ、サウンドシステム、ヒップホップのバックグラウンドを持って音楽を始めたが、俺が期待していた声は静かだった。出自に関わらず、界隈のあちこちでちょっとした権威の乱用があったんだ」。

「ソーシャルメディアがその一端を担っているのかもしれない」と彼は考えている。「俺にとって、アートは今の社会で起きていることを映し出す鏡のようなものだ。点と点を結ぶことができる。そう考えると、現実そのものが問われている今、アートをやるのに最適な時期なんだよ」。

Nightmares On Wax – Own Me (feat. Haile Supreme)

「素晴らしい次世代のアーティストはたくさんいるよ」と彼は笑う。「そして、俺は彼らからインスピレーションを受けている。このアルバムは非常に有機的に作られたもので、それほどチャレンジングなものではなかった。Haile SupremeとニュージーランドのMara TK(ニュージーランドのフューチャー・ソウル・トリオ、Electric Wire Hustleのシンガー)が参加しているが、彼らとのセッション自体はパンデミックの前に行ったものだ。この2人が参加した曲以外はすべてリモートで作ったけどね。あのような方法で曲を作ったのはちょっとした驚きだったが、なんとか完成にこぎ着けられたのは、あのときのエネルギーがそうさせたんだろうね。なにせ、誰も何が起こっているのかわからなかったんだから」。

しばらく静かな時間が過ぎたあと、彼はこう続けた。「今は書き物をするには、とても実りある時間だな。自分の内側で起きていることについて書いていたら、どんどん深みに潜れた気がする。そしてもし今、書くべきことが見つからないのであれば、“持ち物”を捨てる時なんじゃないかな。これまでの歴史を振り返っても、最高の音楽は社会的なプレッシャーがあるときに書かれるものだし。そして、今の俺たちは皆、リモートで仕事をしている。その意味では、俺たちがこのアルバムでどれだけ深く掘り下げることができたかを見るのは、とても興味深いことだった」。

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