ALEX FROM TOKYO:2つの都市から世界へ

25年分の日本音楽シーンへの
ラブレター

Interview: Arthur Ryuichi Beese

──東京と世界を行き来してDJとして国際的に活動されてきたと存じます。読者にこれまで歩んできた道のりと、現在に至るまでの経緯を教えて頂けますか?

こんにちは!アレックス・プラット、またはALEX FROM TOKYO としても活動しているDJ・音楽家です。パリ生まれで、幼少期から18歳まで東京で育ちました。15歳のときにクラブ「The Bank」で初のアンダーグラウンドクラブ体験をし、人生が変わりました。その後、東京のインターナショナルスクールでのダンスパーティからDJキャリアをスタートさせ、1991年に「芝浦GOLD」で正式にDJデビューを果たしました。


大学時代はパリに拠点を置きながら、現地のアンダーグラウンドシーンで活動し、DJ DeepやGregoryと共に「A Deep Groove」というDJユニットを結成し、パリのRadio FG 98.2fmのラジオ番組を通じて知名度を上げていきました。


1995年に再び東京に戻り、当時の第2次エレクトロニック・ミュージック・ブームの中心として活動していました。イギリスのMr.BongoやフランスのYellow Productionsなど、様々なレーベルで活動しながら、日本のエレクトロニックミュージックシーンにも積極的に関わってきました。

DJとしては、日本やアジア、世界中でツアーしながら、クラブ「Space Lab Yellow」のレジデントDJやラジオ番組を担当しました。音楽制作にも力を入れ、Tokyo Black StarとしてKerri Chandlerのレーベルなどからリリースしてきました。

また、コンサルティングやキュレーションにも力を入れ、Y-3の10周年記念コンピレーションボックスセットのキュレーションを行ったり、他のレーベルのコンピレーションシリーズにも参加しました。2017年にベルリンに拠点を移し、ベルリンの「Cocktail d'Amore」のレジデントDJとして、そして「Gallery」にも20年以上出演しています。

現在はベルリンを拠点に活動しており、2023年にはパリに里帰りし、Sounds Familiarの10周年記念コンピレーションアルバムにも参加しています。また、「Japan Vibrations Vol.1」という日本のエレクトロニックダンスミュージック・コンピレーション企画も監修し、自身のレーベルWorld Famousから世界にリリースしています。

──これまでのキャリアの中で、さまざまな困難に直面してきたはずです。もし1つ選ぶとしたら、あなたが遭遇した最も大きなチャレンジは何でしたか?


今でも、30年近くプロのDJ&音楽家として国際的に活動してきましたが、さまざまな困難に直面し続けています。しかし、挑戦があるからこそ面白いのです。特にアーティスティックな職業に就いていると、強くなければ生き残れません。

最も大きなチャレンジを1つ選ぶとしたら、自分が本格的に音楽業界で活動することを決心した初期の頃、「自分の道を見つけること」でした。自分がオリジナルとして何をできるか、何を提示できるか、どのように自分を表現するか、音楽に対する情熱を仕事にできるか。

1995年にパリから東京に戻ってからは、日本で音楽業界における自分の役割を見つけることに挑戦しました。自分のスタイルと情熱を信じ、大好きな音楽を基盤に、DJ、レコードショップのバイヤー、コーディネーター、翻訳者として音楽活動を始めました。紆余曲折もありましたが、目標を立てて諦めずに頑張り続けた結果、30年近く好きなことをして素晴らしい人生を送れていることに感謝しています。


──現在、あなたにとっての挑戦はありますか?ハードルへの対処の仕方は、時代とともにどのように変わりましたか?

どの時代でも挑戦はあります。DJの世界は非常に厳しいもので、流行に左右されやすく、トレンド重視の業界です。自分のアイデンティティとスタイルを維持しつつ、常に自分自身に問い続けなければなりません。人それぞれ独自のスタイルややり方があります。


30年前にDJを始めた頃と現在のシーンは非常に異なります。インターネットのおかげで、音楽と情報は簡単に入手できるようになりました。世界中でアンダーグラウンドダンスミュージックが広がっていくのは素晴らしいことです。また、テクノロジーの進化により、誰でもDJや音楽制作が可能となり、音楽と音も日々アップデートされています。


この業界で長く生き残るための競争はとても激しいです。協力的なブッキングエージェントやマネージャーがいなければ、ギグを仕事として取ることは困難です。ソーシャルメディアの影響も非常に大きく、システムも変わりました。音楽の価値や聴き方も変化しています。今では、DJ&ダンスミュージック業界はビッグビジネスになり、音楽やパーティ自体だけではなく、ソーシャルメディアのフォロワー数が評価やブッキングの決定要因となります。


今のアーティストやDJに求められるのは、独自の音楽的・アーティスティックなスキルよりも、ソーシャルメディアでの存在感です。これは新しいチャンスでもありますが、作品を作る側として、音楽を紹介しリリースして販売していくのは非常に複雑です。音楽を買う習慣も一般的に無くなり、ストリーミングやTikTokなどのプラットフォームで、インスタグラムでスクロールするように音楽を消費しています。この状況でアーティストが自身のアートで公平な収入を得る環境を再考しなければなりません。


ここ数年でシーンはクラブからフェスやビッグイベントに移行しましたが、同じヘッドライナーやトップアーティストとDJたちが世界中でプレイしている傾向は非常に単調です。また、最近はAIの問題も出てきています。


その中で、ベルリンはクラブカルチャーを大切にしている世界でも唯一の大都市であり、ベルリンのテクノ文化がユネスコ無形文化遺産リストに追加されました。元々カウンターカルチャー的なシーンがあり、ありがたいことに自由に音楽を楽しんで踊ることができます。ヨーロッパではコロナが明けてから特に人々は体験に夢中になっているように感じます。テクノロジーがどれだけ進化しても、アートや音楽を楽しむために外出することは決して無くならないでしょう。いつの時代も積極的に前向きに考える必要があります。


ALEX FROM TOKYO PRESENTS JAPAN VIBRATIONS VOL. 1

── 新作LP『ALEX FROM TOKYO PRESENTS JAPAN VIBRATIONS VOL. 1』がリリースされました。どのような内容なのか読者に伝えていただけますか?また、制作のプロセスはどのようなものであったかも教えてください。


『ALEX FROM TOKYO PRESENTS JAPAN VIBRATIONS VOL. 1』は、私が日本で過ごした25年以上の音楽人生を振り返る、回想録の第一章のようなものです。このコンピレーションでは、80年代半ばから90年代半ばまでの日本のエレクトロニック・ダンス・ミュージック・シーンの刺激的な時代に焦点を当てました。東京でDJ活動を始めたときからの経験を元に、シーンを形作った日本人の先駆者たちや革新者たちにオマージュを捧げるために厳選したコレクションです。日本の現代音楽史における活気に満ちた時期を記録したこのアルバムは、私自身から日本のシーンへのラブレターでもあります。

制作プロセスとしては、私自身のレーベルWorld Famousから自主制作で、ゼロから形にしました。音楽の内容としては、アンビエント、ダウンテンポ、ダブ、ワールドビート、ディープハウス、ニュージャズ、テクノにまたがる11曲を新たにサウンドエンジニアの熊野功氏(PHONON)が高音質にリマスタリングしました。国際的なサウンドに日本的な要素が融合した、クリエイティビティに満ちたこの時代のエネルギーを紹介したいと思っています。シーンのパイオニアである細野晴臣、坂本龍一、清水靖晃、クラブカルチャーを形成した藤原ヒロシ、高木完、ススムヨコタ、Silent Poets、Mondo Grosso、Kyoto Jazz Massive、そして新世代アーティストのCMJK(C.T.Scan)、Mind Design、Okihide、Hiroshi Watanabeのバイブレーションとストーリーを世界中の皆さんに体験してもらいたいです。

DJとして、コンピレーションは頭から最後まで聴けるように、DJセットの進行に合わせて曲順を構成しました。90年代からの音楽仲間である日高健のライセンスコーディネート、そしてアルバムアートワークには写真家の藤代冥砂とBeezer、私自身、アーティストたちと親交の深い友人たちの写真をフューチャーして北原武彦と一緒にデザインしました。これからシリーズ化して、文化企画として続けていきたいと思っています。


──チャレンジャーであり続けるには、精神的にも肉体的にも鍛錬が必要です。集中力とインスピレーションを維持するための日課を教えてください。


健康に気をつけるのはとても大事です。毎日、リラクゼーションや運動を少しでもするようにしています。コンピュータでの作業が多いため、コンピュータやスマートフォンから離れて外に出かけることや、好きな趣味に時間を作ることを心がけています。特にクリエイティブな職に就いている方は、遊び心を忘れないことが重要です。DJとしては、仕事に関係なく好きな音楽をたくさん聴き、心を豊かで自由にしてくれる新たな発見があります。正直に今を生きることが大切です。


──あなたの人生や作る音楽に深く影響を与えたアーティストや曲をいくつか挙げていただけますか?

 

振り返ってみると、東京で子供の頃によく聞いていたYellow Magic Orchestra、特に音楽ヒーローである坂本龍一から受けた影響は非常に大きいです。コスモポリタンな東京で育ち、クラブシーンでは世界中のサウンドが混ざり合っていました。青春時代はエネルギーに満ちたヒップホップに夢中になり、Run DMC、Public Enemy、De La Soulを爆音で聴いていました。同時に、友人と一緒にマンチェスターのニューウェイブバンドNew Orderが大好きでした。

そこからさらに深く音の世界に入り、ベルリンの伝説的なエレクトロニックミュージシャン、Manuel Gottschingによる1984年のアンビエント音楽の傑作「E2-E4」は、私にとって最も印象深い作品です。DJでは、1992年に日本で初めてプレイを体験したLarry LevanとFrancois KevorkianのDJとリミックスワークは自分の基準です。

ハウスミュージックでは、シカゴハウスの立役者であるLarry HeardことMr.Fingersの「Mysteries of love」、Fingers Incのデビューアルバム「Another Side」、そしてMarshall Jeffersonの存在は欠かせません。並行して、デトロイトテクノを生み出したDerrick Mayの近未来的なソウルミュージックや、ニューヨークハウスのTodd Terryの初期プロジェクトRoyal HouseとThe Todd Terry Projectのファンキーなサウンドも印象的です。

また、1989年のロンドンの音楽&ストリートカルチャーが集まったTim Simenon率いるユニットBomb The Bassのファーストアルバム「Return to the dragon」とSoul 2 Soulの「Back to Life」も、今でも愛している名盤です。

──最近は何を聴いていますか?曲を幾つか教えて下さい!

このインタビューに答える直前に、DJ DeepやDeetronが参加しているLaurent GarnierのクラブユーズCODE QRレーベルの新作EPが送られてきました。最近では、UKのBBEレーベルからアルバムをリリースしているNYCの新世代ハウスミュージックユニットMusclecarsのプロダクションズが好きです。パリのアブストラクトヒップホップの立役者、DJ Camの新作EP「Broken Melancholy」もとても良かったです。

家ではダンスミュージック以外に、アナログ盤をかけて、ここ数年フォローしているカリフォルニア出身のマルチタレントミュージシャンCarlos Nino関連の美しいエスニックオーガニックアンビエント系の作品をよく聴いています。今年初めに発見した東京の新しいバンドCho Co Pa Co Choco Quin Quinの1stアルバム「Tradition」のアナログ盤もおすすめです。パーカッションを中心としたエレクトロ・ミュージックを下地に、細野晴臣のエキゾチカな世界観と坂本慎太郎のサウンドを思わせる新鮮なトロピカルワールドミュージックサウンドです。パリで東京にいる感じです!

──最後に、読者へのメッセージをお願いします。

長年サポートしてくれている日本の皆さんに、とても感謝しています。『Japan Vibrations Vol.1』を通して、日本の80~90年代のクリエイティビティーとエネルギーを感じてもらい、新たなバイブレーションを与えられたらうれしいです。日本でエレクトロニックミュージック文化全体がもっと認識されてほしいと思っています。ある意味、日本はテクノを発明した国です!

DJや音楽制作を始める方たちには、自信を持って、流行に左右されず、自分の好きな音楽とスタイルを見つけることを忘れないでほしいです。日本人は真面目ですが、歴史を学び知ることで前に進むことができます。世界に日本からの優れた音楽をこれからも紹介していきたいので、ぜひ日本のクリエイターの皆さんからのデモ曲や作品を募集しています!

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