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FEATURES

FEATURES:ドナ・サマー「I Feel Love」(1)

40年前、ドナ・サマーとジョルジオ・モロダーは
現在我々が知るダンスミュージックの雛形を作った

Mixmag Japan | 4 October 2017

1977年は世界のディスコシーンにとって重要な年となった。
ニューヨークのアンダーグラウンドな
ゲイクラブで芽吹いたこのジャンルは、
ポップミュージックの頂点の座に君臨しようとしていた。


ディスコシーンを象徴する
ビアンカ・ジャガーの1枚


1977年4月26日、ニューヨークに「Studio 54」がオープンした。バースデイパーティのために到着したビアンカ・ジャガーは、透き通った赤いドレスに身を包み、白馬にまたがって登場した——裸の男性に先導されて。その写真は一夜にして世界中に広まり、ディスコシーンを象徴するイメージのひとつになり、「Studio 54」の名前は色気や煌びやかさを暗示するキーワードになった。

5カ月後、ストレートな観衆にディスコの息吹を届ける映画がハリウッドで公開された。ジョン・トラボルタがダンス(と過激なスーツ)に命をかけるブルックリンの青年を演じる『サタデー・ナイト・フィーバー』だ。

そのふたつに挟まれ登場したのが、ジョルジオ・モロダーとピート・ベロッテがプロデュースし、ドナ・サマーが完璧に歌い上げた「I Feel Love」だ。40年前にリリースされ、いまだに未来的な音すら感じさせるこの曲の存在により、我々のディスコ、ハウス、テクノ、そして次なる音への旅路が始まったのだ。まさにダンスミュージックの創世記だ。

Musicland Studios(編注:60年代後半にモロダーが独・ミュンヘンに創設した録音スタジオ)の面々にとって、それは素晴らしい数カ月となった。彼らの手により、その後ディスコシーンを熱狂させる数々のヒットが生み出された。共同プロデューサーのジョルジオ・モロダーとピート・ベロッテが率いるチームは、ドナ・サマーの吐息混じりのヒット曲「Love to Love You Baby」を契機にブレイクを果した。

ドイツでミュージカル『Hair』に出演していた経歴を持つドナ・サマーは、すぐに雇われシンガーとして地位を確立、スタジオでも人気の存在だった。「いい友達だった」とモロダーは語る。「信じられないくらい才能があって即興も得意だけど、とても律儀でもあった。人としてとても面白い人だった」。

ベロッテによると、彼女は録音作業にほとんど関心がなく、それが仕事のしやすさにも繋がっていたという。「彼女は制作にはまったく興味がなくて、それが僕らにとってはとても幸運だった。夕方4時頃にスタジオに来て何時間も世間話に興じる。それから腕時計を見て“あら、もう時間だわ!”と気づいて、スタジオに入ったら大抵はワンテイクだけ歌って、サッと帰っちゃうんだ」。

5枚目となるアルバム『I Remember Yesterday』(1977年)の収録も速やかに進行した。べロッテは当時を思い出してこう語る。

「エンジニアのユルゲン・コッパーズは作業が速く、ミュージシャンたちもスピーディ。アルバムはいつもすぐに仕上がって、立ち止まることはなかったよ。僕らは職人で、とにかく黙々と作業を進めたんだ」

『I Remember Yesterday』もまたひとつのコンセプトアルバムで、アンソニー・パウエルの小説『A Dance to the Music of Time』に閃きを受けベロッテが調理した1枚だ。1曲1曲、異なる時代のムードを想起させた。例えば40年代のスウィング、60年代のシュレルズとスプリームス、70年代のファンクと当時のディスコ、そして最終トラック「I Feel Love」で未来に着地したというわけだ。

未来的な音にするためにシンセサイザーを使うのは、当時SF映画でよく使われる手法だった。1951年にはB級映画『地球が静止する日』の中でテルミンが使われ、米電子音楽のパイオニアとして知られるウェンディ・カルロスはスタンリー・キューブリック『時計仕掛けのオレンジ』をシンセサイザーまみれにした。

そんな中『I Remember Yesterday』の計画は、全体をシンセサイザーのMoog Modular 3Pだけ使うというものだった。彼らはそれを持っていなかったが幸い作曲家のエバーハード・スケナーが所有していた。Moogは気まぐれだとの悪評が高かったので、スケナーのアシスタントにしてエンジニアのロビー・ウェデルも起用した。モロダーも「彼は必要な存在だった。もし僕がMoogを所有していたとしても、彼がいなかったら一音も出せていなかっただろう」と認めている。

「このシングルは今後15年間に
クラブでかかる音楽を変える」(イーノ)


「扇情的なシンセサイザーと、サマーの夢心地でうっとりするようなヴォーカルとの絶妙なコンビネーションだ」と、ヴィンス・アレッティは「I Feel Love」について1997年8月13日の『Record World』向けのコラムに書いている。

またデヴィッド・ボウイ『Low』レコーディングのためドイツにいたプロデューサーのブライアン・イーノが「I Feel Love」を聴いて言った。「俺は未来の音を聴いた。これだよ、間違いない。このシングルは、この後の15年間にクラブでかかる音楽を変えるだろう」。

一方Casablanca Records内で、この曲への期待は少なかった。「最初の頃のことを覚えてるよ。代表取締役のニール・ボーガートは興味を示していたけど、僕が期待したほどではなかった」とジョルジオは語る。実際「I Feel Love」は、当初バラード曲「Can’t We Just Sit Down (And Talk It Over)」のB面として発売された。「俺たちにとっては曲のひとつにすぎなくて、シングルだとすら思ってなかった」とべロッテは回想する。

しかし楽曲は次第にクラブで人気を博し始める。まずは早々にA面に昇格、UK ではすぐにドナ・サマー最大のヒットになり、US Hot 100は6位まで上昇した。「I Feel Love」以前、シンセサイザーはキース・エマーソンやジャン・ミッシェル・ジャールなどシリアスなミュージシャンの領分、もしくは目新しい小道具的な使い道が相場だった。それが「I Feel Love」では純粋な快感のためにシンセサイザーを使用したのだ。その影響は後のディスコにも重大な影響を与え、デボラ・ハリーも「クリスも私もドナと「I Feel Love」が大好きなの。当時にしては画期的で、でもコマーシャルで、セクシーで」とコメントしている。

当時のニューヨーク市の“キング オブ ディスコ”は The Galleryのニッキー・シアーノだ。彼もマーク・ポール・サイモン(Casablanca宣伝部長)が、1977年の夏、すし詰めのパーティに未発表のアセテート盤を持ってきて、かけてくれと頼まれたのを覚えているという。

「3台目のタンテに重いレコードを置いた。普段のドナ/ジョルジオの、高いクオリティの曲を期待しながら耳にヘッドフォンをあてたんだ。すると、とても新鮮な、シンコペーションの効いたシンセラインが聴こえてきた。それは新しい音楽制作のスタイルだった。自分の直感を信じてそのまま曲をミックスしたよ。初めてプレイする曲であんなにクラウドが盛り上がるのは本当に珍しいことだったね。俺はクラブ音楽を永遠に変える音を体感したんだ」。

モロダーは語る。「最初はこの曲がこんなに影響を与えるとは思っていなかった。でも数ヶ月後、他のレコードに同じベースラインが登場しだした。例えば現代のEDMでも何らかの形で「I Feel Love」のベースラインが盛り込まれているんじゃないか」。

その影響力は白人が生み出したゲイ推進サウンドのHi-NRG、それにUKで炸裂したエレクトロポップ、イタロハウスもまた然りだ。それにPファンクと同じくらいテクノも、この不思議で美しい人工器官的名作に負うところが大きい。

「1977年に両親がフランクフルトの近くにナイトクラブをオープンしたんだ」とスヴェン・ヴァスは語る。「この曲がリリースされた当時、家で、両親のクラブで、何度も繰り返し聴いたよ。自分でDJするようになった1980年からはスピンしまくった。今日に至るまで、魔法のような時間を演出するための1曲だね」

この曲が直接サウンドに影響を与えた現代プロデューサーには、ユーアン・ピアソンも名を連ねる。「I Feel Love」の「あの機械的でアルペジオを使ったベースラインは、ダンスミュージックがダンスミュージックになる前の、ダンスをするときに聴く大好きなレコードの音なんだ。僕のリミックスの多くも、あのベースラインに立ち返っているよ」

エロル・アルカンも同意する。「ウェディングパーティから汗まみれのナイトクラブまで、あらゆるダンスフロアでしっくりくる1枚だよ。音楽を知っているのと同じだけの長さ、このレコードを知ってるけど、いまだに興奮させられる。人類史上、最も優れた音声録音のひとつであることは間違いないよ」。

今なお「I Feel Love」が予言した未来に追いつく道のりの途中という感覚を覚えることがある。もしかすれば、あと40年で追いつくのかもしれない。

[VIA:Mixmag Japan ISSUE1

 

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