OTAI RECORD井上揚介:常にフラットな感じ。いかにして赤ちゃんみたいな感覚で音楽を聴くか。

家電から始まり、DJ機材、アニソンDJまで、限界なき音楽探求の軌跡

Interview: Masaki Kawamura

Editing Cooperation: Tomotaka Hoshide

名古屋を基点にDJ業界はもちろんユーザーからも絶大な人気と信頼を誇るオタイレコード。電化製品販売から始まった同社は、いかにしてオーディオ、DJと幅を広げ現在の地位を獲得していったのか。今では電子ピアノにも道を進め、さらなる躍進を目指している同社の舵を取る代表取締役社長が、この業界にて知らぬ人はいない、ようすけ管理人こと井上揚介だ。


──まずはオタイオーディオ株式会社のスタートのことを教えてください。


昭和44年4月5日に祖父が立ち上げました。噂によると、某ファーストフードの代理店をやるかという話もあって、それか電気屋さんか迷ったっていう話を聞いたことがあります(笑)。とにかく、それでも家電を選んだっていうのは、家電もそれぐらい調子がよかったということ。僕、小さいころは“オタイ電気のお坊っちゃん”って呼ばれてましたもん(笑)。

──最初は家電専門?


めっちゃ家電。小さいころの思い出って、8月の甲子園の時期にクーラーがガンガン効いていて、カラーテレビもある店内に、知らんおっさんがたくさん寄ってくるんすよ(笑)。ジュースを買ってもらって、僕も可愛がってもらって。PL学園の桑田、清原のころですね。


──どのあたりでオーディオを取り扱うことになったんですか?


1970年代〜80年代って、スピーカーやオーディオシステムが居間にあることが富の象徴だった。僕らの世代(50歳前後)でも、中学入学や高校入学で コンポを買ってもらうみたいな文化がありましたよね? その背景もあったのか父が洗濯機よりも、オーディオの方がかっこいいって思ったのか……死語だけど“とっぽい”感じの父で、オーディオをやり始めて、80年代の後半からCDやDVDの販売を始めたという流れです。

──当時から楽器も売られてた?


楽器はまだやってないです。オーディオ、スピーカーとCDのソフト販売。昔、みんなめっちゃCD買ってましたよね? すごく儲かったんです(笑)。当時レジに座っていたら、3,000円握りしめて列に並んで、ドリカムのベスト出ました、Mr.Children出ます、となるとCD買いに来るお客様で行列ができる時代。しかも僕にとってCD屋って楽しいわけ。いろんな音楽聴けるし、これは素晴らしいと。だから僕、本当にいい家に生まれちゃったし、音楽大好きだし、めちゃくちゃラッキーだなと(笑)。こうやって死んでいくんだなとかって思ってたのが、90年代初頭。90年中盤ぐらいまではそういう感じだったんですけど……その後どんどん雲行きが怪しくなってくる。まず一番ハッ!と思ったのが、みんなCDRで音楽をコピーし出したころ。


──そうですよね。


CDレンタル屋があって、CDRに落としてというブームがあった。だからCD販売は将来廃れるだろうなとその時に気づいた。で、OTAIRECORDのネットショップを出すきっかけなんですが僕、ゲームが大好きで、昔、「三国志」っていう国取り合戦みたいなゲームあったんですけど、あれがやりたくて。ファミコン版だとグラフィックが荒いので、どうしてもパソコンが欲しい。で、親父に、これからはパソコンの時代だし、プログラムを学びたいからと適当なこと言って買ってもらって、「三国志」をずーっとやってた(笑)。


当時“パソコン通信”というのがあった。電話回線を利用して知らない人と文字をやり取りするんですが、それがすごく面白くて……例えばオセロ好きな人、なんかの同好会、音楽同好会もあって、その中にはクラシックの部屋とか、ジャズの部屋とか、ロックの部屋とかあって。顔も見えないし、今みたいにSNSみたいな個人情報特定もできないから、めちゃくちゃ言いたい放題なんですよ、みんな。 でも楽しいし、毎日のようにみんながアクセスしてて。そのうち、恋愛しだすやつがいたり、あいつムカつくからあの家攻撃しに行くとか、いろいろな事件があった。だからオフ会もめちゃくちゃ緊張するんですよ。写真なんてないから、 どういう人なんだろって。


──ドキドキしますね。


そういうのが面白いなって思った。で、その後インターネットの時代になる。OTAIRECORDの始まりって、楽天とかもなかったころなんです。キチンとアナログレコードショップだと、多分、僕がやったインターネットのアナログ通販も最古参だと思います。でも、僕は仕事中にやってたので、めっちゃ怒られるわけですよ、そんなもんで売れるわけがないと。


──お父さんに、ですか?

 

ようすけは仕事中に何を遊んでるんだと。親父の支配を逃れたいけど、辞める、家を出るっていう選択肢はない。実家にいる方が楽だし、音楽もめちゃくちゃ好きだから。それと昔な考え方もあって“家督を継ぐ”みたいなことも考えてた。 でも好きなようにやりたい。


そういう意味で、インターネットって僕が初めて手にした自由だったんです。楽しくてしょうがなくて、朝10時に出勤して、夜10時までCD屋で働いて、仕事外だったらいいでしょって言って、やるんですけど、また怒られるわけ(笑)。息子が心配だから。1日12時間労働もして、さらに働くっていうのが心配だから、もう帰れみたいな。だから一緒に帰るふりして、また戻って作業を毎日朝の3時ぐらいまでやってて。そんなことを1年間ぐらいたまにしていました。


で、あるときその通販サイトでとあるブランドのターンテーブルを売ることになった。オーディオに強い国内大手の卸会社さんがあって、親父と交流があった。その卸会社さんがそのブランドも取り扱っていて、とりあえず分かんないけど、売ってみたらすごく売れて。アナログレコードは当時12インチのレコードを一枚売って980円とか880円。だけどターンテーブルを売ったら、一気に5万円。こんな美味しいものあるのかと思って、一生懸命ターンテーブルを売るようになって。同時に、僕が大学2年のころにDJを始めるわけなんです。でもミキサーとかはまだ仕入れできなかったのでそのときに、名古屋の楽器店に買いに行ったんですけど、マジで何を買っていいか分からなかった。しかも田舎だし。で、店員に言われた通りに買って、はい、20万円ですみたいな。


──ちなみに最初は何のDJを?


ヒップホップ、ロックです。結局ベスタックスのPDX-2000とローランドのDJM-3000を買った。その店舗で売り出し中だから買わされたのかもしれないけど、僕、スクラッチもやりたかったんですよね……。


──DJ-2000だと4つ打ち系みたいなモデルですよね。横長の。


そう。一応それも伝えたはずなんですけど、そのときは言われた通りに買うしかないんだなと。その時にDJ始めたい人って度の機材をそろえていいかわからずに困ってる人って結構いるんじゃないか?と思った。で、これは確信的になんですけど、日本で初めてDJ機材のセット販売したのは、うちの会社なんです。ターンテーブル2台と、ミキサーと針とヘッドホン。

──ようすけさんの元体験が。


そう。ヒップホップだったらヒップホップ系のミキサーにして、初心者の人だったら始めやすい値段にして、例えば3段階ぐらい松竹梅で値段をつけて、ヒップホップ、ハウス・テクノ、トランス……それぞれの操作性に向いた機材をセット販売する。そういうふうにDJセットを作っていたら売れて……そこからですね、もうインターネットでやっていけるなって確信を持ったのは。同時にレコードも売りつつ、そのときはちゃんとWEBで視聴できるシステムを組んだり試聴もできるようにしたり。


──すごいすごい。


この試聴の登録作業が大変なんです。途中から大手のレコード屋さんに、これは美味しいぞっていうのがバレて、蹴散らされるんですけど(笑)。向こうは都会でみんな集まってきて大人数じゃないですか? しかも僕は何の情報もないし、田舎者だからダサいしセンスもないし、アーティストが店に遊びに来るってことも当然ない。 何にもないんです。あるのはオタク的なデジタルの知識と、ホームページやプログラムの知識。予算もなかったから、全部勉強して自分で作るんです。未だにオタイレコードのシステムが全部自分で作ってますよ。


──めちゃめちゃ行動力ありますね。


全てはあの父親を騙して「三国志」を買ってもらったとこから(笑)。


──面白いです。


そういうことで、DJセットを販売したわけなんですけど、DJ機材ショップの●●●さんとかめっちゃ値段が安い。おそらく利益率が10%ぐらい違う。そうなると2倍ぐらい儲かる。10時間働いてる人は5時間しか働かなくていいわけだし、年間で300日働いてる人は150日しか働かなくていいっていうことを意味するわけ。そこからメーカーの人に交渉して対応に戦えるようにして、さらに、OTAIRECORDのホームページやシステムを自作したりして圧倒的にコストを抑えてその余ったお金を全部広告費に突っ込んだ。その余った金を全部広告費に突っ込める。で、広告も今で言うGoogle広告を出した。あれも音楽業界で、めちゃくちゃ最初に出した。


最初は誰もいないからクリック単価は入れ食い。今、DJ機材だと、クリック単価は120円くらいとか言ったりする場合もある。昔は7円スタートでしたから。最初は広告の仕組みがよく分からないので、とりあえず1万円からやる。それで結構売れて、2万円したら2倍売れる。そうやって広告費をどんどん入れて、どんどん売り上げが増えていくという感じでした。そこから増えた売り上げに対して、スタッフを雇ったり、 他のメーカーも直接取引をお願いしますみたいな、そうやってどんどん売り上げを増やしていきました。


──経営手腕がえぐいですね、クリエイター視点と、経営者視点。


「三国志」癖がなんです(笑)。ゲームみたいにどんどんやっていきたい。それにやっぱり音楽が好きだから仕事だとも思ってない。だから何時間でも働ける。めっちゃ幸せな人生ですね。また絶対に自分に生まれたいですから(笑)。 それかF1レーサーか定食屋の主人。「ミスター味っ子」の影響なんですけど。


──ようすけさんは相変わらずDJもやられてますよね?


はい。でも最近は少なくなって2カ月に一回くらいかな。僕は、DJとして、アーティストとして、あまりピックアップされないんですけど、一歩距離を置いてるからなんです。これは売れそうだな、売れそうじゃないなとか、あんまり感情移入するよりは、常に音楽を聴いてるときに、ちょっと分析してしまうみたいな……業界の方ならそういうところはあると思うんですけど。


──例えば好きな音楽でもこれは売れそうにないな、みたいな。

 

だから、ひとりのアーティストに入り込むことって、なかなかないんですけど、その中でもポール・ウェラーが一番好きなんです。昔、ジャムっていうパンクバンドをやってて、そこからスタイル・カウンシルっていうグループを作るんですけど、それはジャズやボサノバ、ラテン……それこそクラブミュージックで、その後はソロになって、めちゃくちゃシンプルなロックをやり出す。コロッと変わって、違うことやってる。でも、歌詞の内容は全然変わってなくて……“宿かり”じゃないですけど、背負う貝は変わるけど、自分は変わってないなくて、こういう生き方ってかっこいいなって思って。 だからいろいろな音楽を聴くんですけど、自分の中では一本、筋を通して行動してるつもりです。


今はピアノショップを出してますけど、僕の中では全然自然なこと。でも外から見ると、この人は一体どういうことをやりたいのかよく分からないみたい。この前も熊本でAIの学会に行ってきたんですけど、そういう学会に音楽屋さんが行ってどうするのみたいな。ただ僕の中では、そうやって点を打っていくと、最後に線になっていく。だから若いころから、自由だったり多様性みたいなところってのはすごい興味がある。


あとは影響を受けたのは、大学2年のころに女の子に振られて、それがショックで、なんかしようと思ってパリに行ったんです。1ヶ月ぐらい行って、 そのときに、こういう世界もあるんだって思って、で、ついでにロンドンとかも行ってきたり、今度はニューヨークに行ってレコードいっぱい買ってきたり、 そういうところで多様性とか価値観を醸成していったんです。


ちょっと話が変わりますが、高校のころのレコード仲間がいて、ひとりがソウルで、ひとりがヒップホップで、ひとりはブルース、ひとりはラウンジとかソフトロックっぽい感じとか、役割が決まってたんです。


──おしゃれな高校生ですね。


同じ高校でやり合ってたんですよ。何買ってきた?みたいな。でも僕は普通というか、節操がない。ロックも買うし、ジャズとかポップスとかも買う。 だからすごい馬鹿にされて。でも僕の中では多様性で、あっちこっち聴いて中途半端でいい。3日坊主も大好きで、3日坊主=ダサいっていうのがあるから、みんな挑戦しないから。


──確かにそうですね。


あっちに何かあるけど、今からちょっと行ってみませんって言って、行っちゃうタイプ。知らないことを知るっていうのが成長だと思ったら面白いです。だから一瞬ダサいなって思っても無理やり聴く。いつまで経っても、ダサいなっていうのも面白い。


──なんでもすぐチャレンジするっていうのが……。


嫌いだなって思っても我慢して続けたりとかもするし、“味”が絶対出てくると思って。


──YouTubeも15年ぐらい前からやられてますね。


最初はUstream、そこからニコニコ動画に行くんですけど、あれ、コメント流れてくる。当時自分もノウハウはないし、田舎者だしっていうところで、必死感も出てて、攻撃したくなるんでしょうね、死ねとか帰れとかたくさん言われて、言われすぎちゃって……普通の人に、ちゃんと接客したかったのに、さすがにできんなと思って。で、しょうがないから、YouTubeに行ったんですよ。


──周りのDJ業界の方はまだYouTubeとかやってないですよね? 


でも僕は知ってたんです。パソコン通信のときに喧嘩したり恋愛したりしてたから、インターネットでも人の気持ちが通じることを知っていた。これは絶対に皆さんがもっと繋がって、ご利用いただけるんじゃないかと。僕は頭が良くないっていうか、考える力が弱い。だからよく考えてやってくる人に弱い。最初だけいいけど、もっと頭のいい人に同じことをやられるっていうのを繰り返してて(笑)。


──行動は超早いですね。


そうですね。新しいメディア、新しいイノベーションって、パチモンもあるじゃないですか? そういうところに首を100%は突っ込まないけど、30%だけ突っ込んでいくと、話のネタにはなる。で、もしうまくいったら、その流れに乗れる。だから携帯もやたら新しいのにしようって思うし、ゲームも新しいの出たらやるようにしてるし、街中の流行りものはちゃんと食べるようにしてて。


──すごい勉強になります。


自分の中ではダサい映画だけど、なんか流行ってるみたいなものは無理やり観たり。そうすると、自分の好きなものがもっとよく観える。


──そうですよね。


イベントも、全く知らないイベントとかすっごいチャラ箱とか、最前列にひとりで行ったりします。 若いやつからは、なんだこのおっさんと思われてると思う。


──それが辛くて行けてないっす、最近。


僕らが若いころも多分そうだったんでしょうけど、チャラいなと思いながらも、キラリと光る瞬間があったりとか、将来の可能性が見えたりとかもするし。アニソンパーティも行くようにしてて、アニソンDJ講習会も10年続けてるんですけど、アニソンDJの嗜みってのがあるんです。


──流儀があるんですね。


アニメのリスペクトがあってこそじゃないですか。だから、アニメに対して失礼なことをするようなのはダメだったりだとか。そういうことも含めて、いろいろ自分でやりながら学んできている。


──10年前に“アニソンDJが来るな”というのが肌感であった感じですか?


ありましたよ。“おたいれこちゃん”っていうバーチャル店員さんみたいなキャラも作って。


──アニソンDJ道の、源流みたいなのがありますよね?


そうなんですよ。今やアニソンは全ジャンルのうちの第2位ですね。1位はTOP 40。それで大体70%を占めてます。残り30%がヒップホップ、テックハウス、レゲエ、ドラムンベース……が押し込められているという。時代は変わってしまいました。


──アニソンDJを10年前にも発見してる?


あの特殊性が面白い。自分はアニメ詳しくないんでアニソンDJの人たちとは外国人と喋ってる感覚。僕らの感じとは全然違うから、それは人によっては気持ち悪いって思うかもしれないけど、僕はフランス人の人と喋ってるような感じですよね。アニソンDJの方にはずっとインタビューさせていただいたりだとか。この前も「なごうて!」っていうオタ芸ダンスのビッグフェスがあって。


──踊るフェスですか。


「とっとこハム太郎」でサイリウム掲げてガンガン踊るんですけど。それも何が面白いんだろうって思うんだけど、面白いからみんな必死な顔して踊ってるんです。すごいバイブス感じるから、それもサポートさせてもらって。そういう違う寄り道すると、いつものテクノやハウスのパーティに行っても、自分はやっぱこれだよなって思うし。


──マンネリから抜け出せる感じですか?


ちょっと違う世界を見て、自分の感性をリセットする。学生時代一カ月くらいパリに行ったときにお金がないから毎日ズーッとケバブ食ってて。で、日本に帰ってきて、一番最初に食べたのが、コンビニのおにぎりとインスタントのお味噌汁。こんなにうまいものがあるのかっていうぐらいうまくて(笑)。そういう経験を経て客観的視点の大切さを知った。常にフラットな感じ……いかにして赤ちゃんみたいな感覚で、音楽を聴くか、 そういう感性を持つことができないか。だから今は昔と比べて贅沢できるようになったけど、吉野家に行っても、めちゃくちゃうまいなと思うし、下に見てるわけじゃなくて、フラットにほんとに牛丼がうまい。


──めっちゃ分かります。


いろんなことをフラットに見ることは人生楽しくなる秘訣ですよ。それを音楽を通じて教えてもらってきたし、ヒップホップ最高! レゲエ最高!って言ってる人でも、実はアニソン好きっていう子も絶対いるはず。 その受け皿になりたいですし、OTAIRECORDでやってるテクノDJミックス生配信番組「SEELE」でも、うちで抱えてるアニソンのお客様の中で、実は4つ打ちの方が好きだっていう人もいるかもしれないと思って。だからOTAIRECORDでは適宜みんな好きな場所に行ってもらうようなインフラ自体は整えておきたいし、うちはこういうのをやってないとかは言いたくない。でも何でもありのそんな調子だからこだわる人からは昔はちょっと距離をとられていたきがする。例えばこだわりの強い4つ打ちの人とか。


──そういうのはありますね。


4つ打ちはそぎ落として美しくしていくけど、僕、逆だから。でも時間を経てでも時間を経ていろんなノイズをぎゅーっと凝縮して、ようすけはこういうことやりたかったんだって分かってくれたときに話してくれるようになった、こだわりの方々に。周りにアバンギャルドな人がいっぱいいたから、世間に対してっていうよりその人たちに僕は反抗したいなって思ってて。だからあえてメジャーでみんなが聴いてなさそうな作品をピックアップしたりして、その中で宝物を拾って、アバンギャルドな友達に、これかっこいい曲あるよみたいなことをしたり、いろんな闘争がありました。


──「SEELE」の活動については?


90年代は、4つ打ちのダンスミュージックのシーンがすごくボリュームが大きかったじゃないですか? すごいDJも出てきて、その中で競争が生まれて、その方々たちのプロップスがいまだにすごい。よく言われるかもしれないけど、上の人たちが蓋をしているところがあるから、20代のテクノDJのスターとかアイコニックな形で輩出できたらいいなと思って。僕はトラックメイクの分野では才能をピックアップするために、「ビートグランプリ」という大会やっていて、小室哲哉さんやDJプレミアみたいにアイコニックな、いつかグラミー賞をとるトラックメーカーを出そうと始めたんです。


「DMC」も関わってるけど、4つ打ちで大会をやるのはやっぱり難しい……考えても分かんないんだけど、そりゃ、分かんないよね、僕、48歳だもん。4つ打ちは若い子の文化だと思うし、僕が考えてる時点でダサいなって思ったんです。そこであるときにLUTAとMiquっていう、若くてセンスがいいDJと出会って彼らを中心に4回の配信をやってみたら、いろんなことが見えてきたけど、まだフラフラしてる感じで、いろいろ試行錯誤ですね。

──LUTAさん、Miquさんはトラックも作られてる?


LUTAが社会人2年生で、Miquは大学4年生ですが、トラックも作ってるみたいです。LUTAは名古屋大学卒業でエリートで、そういうのも僕にとって刺激になるし、 この子らに対して、どういうことができるんだろうっていうのは常に考えて、それが一番の課題かな。リアルイベントだったら分かりやすいんですけども。


──4つ打ちの配信って淡々としちゃいますよね。DOMMUNEもやっぱりトークがあってDJがあるから成立しますけど、DJだけだと結構淡々としちゃいます。



ですよね。かといって、音楽をやっぱ主役にしないといけないからとか……迷ってる。でも僕は迷うことってほとんどないので。経営者だし、パパパっていろいろ決めなきゃいけないし……申し訳ないけど、迷う行為も含めて楽しんでと(笑)。



──ハハハ。その過程にあるんですね、今。



どうしようかなみたいな。でも「SEELE」ができたことは2023年の“やってよかったことベスト3”に入ります。



──どのあたりが一番良かったですか?



変わってるところは変わってるし、変わってないとこは変わってないんだなって。僕は48歳なので、あと11〜12年で定年じゃないですか。なんとなく、どうしよっかなって思う年ごろでもあるというか。そんな中で、彼らにいろいろ教えてもらえるんですよ。こういう考え方してんだとか、これはこれで間違ってないのかとか。とにかく僕は、クラブやダンスは若い人が発火点となってパッと花開いてくカルチャーだと思うんで、僕が好きなカウンターカルチャーだったり、やばい感じ、アバンギャルドな感じ、ぶっ壊れてる感じのものって若い人が生み出してくもんだと思ってるので。同世代の人と話してるよりも面白いこともある。




──それは面白いですね(笑)。



テクノもいいけど、今ピアノもやってるからモーツァルトも好きだよとか。



──えー、面白い。



そうなんです。Deutsche Grammophonって超有名なクラシックのレーベルがあるんですけど、クラシックもいろいろやり尽くしていてミニマルミュージックっぽい雰囲気も出していて。ジェフ・ミルズも「題名のない音楽会」で、オーケストラと一緒にやったりとか、このまま行くとテクノとクラシックはどんどん距離が近くなると思っています。



──フランチェスコ・トリスターノはクラシックのリサイタルやって、その後DJみたいなこともやってますしね。



そういう動きがガツンときたときに、それならクラシックもDJもやってるからオタイレコードだろうってなれたらいいなと思ってます。



──アニソンがってなったときみたいに。



なるかもしれない。すごく面白いですよ。音楽大学のピアニストっていうと、卒業してピアノだけをやってきた感じの方が多い。クラシックしか知らないから、ヒップホップがどうのこうのとか、僕らが当たり前だと思うことも知らない。もちろんジェフ・ミルズも知らないですし、聞かせると、「お経みたい、これ音楽なんですか?」みたいな反応で(笑)。 そういう反応も僕にとっては面白くて、確かにこの曲かっこいいって思ってたけど、かっこよくないかもしれんな、とか思ったり。



──やっぱりフラットでいるっていうのがずっと共通でありますよね。



そうですね。自分の尊敬するポール・ウェラーは、そういう感じの人なんです。そういうふうにやりたいなって思って、やってます。



──めちゃめちゃ勉強になります。Deutsche Grammophonもチェックしてみます。



秋葉原に出店した電子ピアノ専門店ottoを通じてピアノの世界をもっとかっこよくしたいなって思う。クラブ系のイベントはやりまくってるじゃないですか? フライヤーをパッと作って、こういうパーティで……と。クラブカルチャーのそういうところってほんとにいいところで、ピアノの人って、ほんとに個人種目だから、みんな友達でイエイ!とかってないんです。一緒の音楽なのに、全然違う。今はテクノの野外フェス<ORBIT OPEN AIR MUSIC PARTY>にクラシックのピアニストを送り込んだりもしてます。ドビュッシーから始まって、アンビエントっぽいのがかかって、4つ打ちに変わって。そういうクロスオーバーができたらと思って。

──すごい面白いですね。ちなみにMIXMAG JAPANを見てる若手のDJへメッセージはありますか?


僕は若い人に教えてもらってる方だから。お酒を奢るんで、一緒に飲みに行っていただけませんかと(笑)。なんも知らない青い感じがたまらなく楽しい。もちろん、知ってる人とバイブス合わせてワーっと喋る、それが一番楽しいかもしんないけど、ジェネレーション違う人としゃべってる方が新鮮でもっと楽しめる。魂を解放して楽しんでもらえばいいんじゃないですか。


──MIXMAG JAPANは“挑戦”をテーマに発信していこうとしてるので、ようすけさんのそういうお話を聞いていると、すぐチャレンジするっていうのが……。


自分の特徴かもしれませんね。僕、テレビ好きでズーッと観てるんですけど、お金持ちの豪邸訪問みたいな番組があるじゃないですか? そういうのに出てくる社長の昔話とかで、ちょっとおバカなヤンキーっぽい人が多くて、そういう人がヘリコプターに乗って登場する。昔は暴走族やっていて、今は飲食店50件ぐらいやってますみたいな人。そういう人が多いのはなんでだろうって思ったら、彼らは何も深く考えずに、すぐやるんです。そういう僕よりもさらに上手の、何も考えてない人の研究して、“アホマーケティング”、略して“アホマ”って言うんですけど(笑)。それを見出したのは6年前ぐらいかな。それで業務がめちゃくちゃ早くなりました。何も考えずに、とりあえずやる。それが研究結果(笑)。この前も、とあるDJの大会でスポンサーになってほしいという案件があって、3分ぐらいで、はい、わかりました、と。


──えー!


ミスることもあるけど、 会社を潰さない程度の失敗って、僕にとってはご馳走でしかない。ChatGPTで得られるような、もん切り型の情報なんていらないじゃないですか? だからめんどくさそうな人とか、これどうなのかなって案件も、悩んだらやる。言って行動せずに悩んでるやつ多いじゃないですか? パーティやろうかなとか、ヨーロッパ行ってみたいなって言ってる人。地元にいたんですけど、そいつあだ名“ヨーロッパ”でしたし(笑)。そういう人よりも、なんでもすぐやってみる、気合の入ったヤンキー系の人の方が強いみたいなのが事実としてある気がする。


──初対面でいきなりこういう質問するのも失礼なんですが、ようすけさんの後は、身内の方が会社を引き継ぐことになるんでしょうか? 


僕は世襲は絶対嫌なので、誰かやってくれる人がいいればと思っています。自分がやってることも偉いことだとは思わないし、皆さんのお力でここまでやらせてもらってるだけなので、何かDJシーンのためになればいいっていうだけですよね。現場でテキーラとか返しまくってますから(笑)。だからAmazonとかで買っても、ジェフ・ベゾスはクラブでテキーラ奢ってくれないんで、オタイレコードで買った方がいいと思います。これは勝手に挑戦状です(笑)。


──勝手に(笑)。


反抗するのが好きなんですよ、僕、ずっとパンクですから。


──生き残りたいですよね。今日はとてもいいお話を伺えました。


MIXMAG JAPANもそういう意味で、全DJがみんなリスペクトして、メディアをほんとに押し上げてやるべきですよね。みんなひとりひとり責任があると思って、人を守る。


──みんなで盛り上げていけばいいんじゃないでしょうか。


地元の怖い系の先輩がいて、その人が「ようすけ、最近どうだ?」、「自分はなんとか頑張ってますけど。他のみんなもやりたいことやっていて、いい感じなんじゃないですか?」、「でもそれは1個の方向に向いてないから。ようすけ、これからユニティだぞ。ユニティ」、ユニティって20回ぐらい言うんです(笑)。その先輩は“まとまってる”感じみたいなことを言いたいんだと思って。この多様性の時代にサバイブしていく意味で、その言葉ってすげえいいなと。例えば昔なら、スポーツはプロ野球かサッカーですけど、今はフィギュアスケートや、ボルダリング、いろいろあるじゃないですか? 多様性が広まった分、それに関わる人数は少なくなってパイも少なくなるから、団結して真に守っていく覚悟はそれぞれのところに試されてる。最初馬鹿にしてたんですけど、ユニティ、いいなと思って……。MIXMAG JAPANも他のメディアも、1個1個のパーティもそうだし。


──DJメディアもほとんど無くなっちゃいましたし。僕らは弱小メディアですけど、ゆるゆるやってるんで、ようすけさんみたいな即行動ができないんですけど背中を見ながら……。今回は「ようすけ管理人語る、今は大事なのはユニティ」で行きます。


その先輩に感謝ですね(笑)。

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